大変お久し振りです。私は元気に生きています。
昨日カナダからハワイにセーリングした大さんから久しぶりにメールを頂き、私がブログをしばらく書いていないので心配していたとの事。
そう言えば、一旦書かなくなるとなかな書く気がしないもので、心配してくださる方たちもいるのだから近況を書かなければと思い、現在どうしているかを書き始めます。
私自身の健康は普通人と変わらないぐらい健康で毎日食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲んでいます。しかしあくまで腎臓病患者ですので水分の多いものはだめです。だから酒類もハードリカーなら少し飲んでもいいのです。
しかしたとえ酔っぱらっても一日4回の腹膜透析の液の交換はしなければ今の健康?を維持できません。前にも書いたと思いますが、2リッターの透析液を腹に通した管で交換します。一回30分ぐらいですが雑菌の入らない状態で交換しなければいけなく、場所に制限があります。
例えば、町に買い物をする為に出掛ける場合も時間には帰宅しなければいけなく、どうしても時間に間に合わない時は、仕方なく車の中で交換したりしますが、腹膜炎になる可能性が多くなるので出来る限り避けなければなりません。もし腹膜炎になり最悪な場合は一巻の終わりです。多くの腹膜炎になった患者は病院に運ばれ、治ると、血液透析に変えられてしまいます。私の場合は腹膜透析を始めてから今3年です。これからもこの調子ならば10年は大丈夫でしょう。(自分自身で思い込んでいます)。
腹膜透析で治療出来る期間は、平均5年~10年ぐらいが一般的だと言われています。その後は、血液透析になります。それから何十年??生きるのかな~~。
最初から血液透析をすると寿命は平均15年??とか??、ま、どちらにしてもその人の健康管理が問題となります。糖尿病から透析になった方は、食事制限もとても厳しそうに見えます。
ところで私の場合は、腎臓移植をしてもらえる事になっておりますが、病院から電話が入ると8時間?以内に手術がされる為、病院まで4時間掛かるところに住んでいますので大変です。間に合うのかな?~~~。
こんな調子で3年も待っておりカタマランを完成させセーリングに行く事など今は夢のような事なんです。
移植経験者の人達から聞いた話では、ドナーが少ないので諦めたぐらいの時病院から突然電話が掛かってきたとよく聞きます。夜中の3時に病院から電話が入り寝ぼけているので「又、後で電話をください」と言ってしまったという人もいました。腎臓移植は国がやってくれるのですが、暗黙の決まりがあり65歳までしかやってくれないようです。私の場合今年中に病院から電話がないと腎臓移植は諦めなければいけないようです。
後は、今の腹膜透析を維持しながら細々と生きてゆくしかないでしょう。しかし最近は透析液を南太平洋の国で受け取る事も出来る為、カタマランが完成してこの船でセーリングがしたいと思えば又セーリングも夢ではなくなってきました。
ステムセルの研究が盛んになっており人造キドニーも夢ではなくなってきたようです。実験台になってみようかな~。
「ところで」、カタマランの進行状態は大まかに出来上がったといっても良い状態です。まだまだ細かい仕事は一杯有りますが、エンジンを載せ、マストを立てれば走るといったところです。
「homemade catamaran yoshi48 」 と「homemade catamaran yoshi48 , part-2 ] で、You tube に載せて以来、
世界中の人達からコメントを頂き、うちの女房は返事を書くのが嬉しそう、だが大変で、奮闘しています。例えばーーーマサイから来たとすると、スワヒリ語で ジャンボ ハバーリ とね、 ロシアの時は、スパシーバ?、カンボジアの人には、なんて書けばいいの?、フランスの人には、メルスィ ボクゥ、 エスキモーにはーーカナダ英語でいいのかな~~。
多くは励ましやお褒めの言葉で、変わった地域では、モンゴル、アフリカ、南米、ロシヤ、まだエスキモーやマサイからはコメントが届いていませんが、多くはアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどからです。
ほめ言葉ばかりではなく、我々の事だと思いますが、どこかのデザイナーと言う人が、夫婦でコツコツ作るのは時間の無駄だといったブログを書いている人がいます。プロの方が我々を意識して反論を書いていただくのは少し嬉しいような気もしますが、要するに自分達に任せた方が良いと書いています。私から言わせてもらえば、このデザイナーが言っている事は「カタマランを手に入れるには」を語っており、
我々がやっているのは長年の夢である「自分がこんなカタマランを造ってみたい」と思うカタマランを造っているのであって、出来がどうであっても、見栄えがどうであっても、たとえ沈んでしまっても(カタマランの材料は沈めようとしても沈まない素材を使っています)、私の見ている夢は、微風の静かな海をスーッと昆虫の水すましのように走る船であり、これを目的に造っており、それを自分達の手で造ることを楽しんでいるのです。
私はお金はないのですが、お金さえあればいくらでも大きくて美しい船が買えますが、自分達の手で船を造ることにチャレンジするのは又違った喜びがあるものですよ。表現をするなら「チャレンジと見せびらかし」の違いかも知れませんね。